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本年、令和元年(二〇二〇)は、箱館戦争が終ってちょうど百五十年目に当たる特別な年です。箱館戦争に関係する道南地方各地では揃って何らかのイベントを計画しているようです。
そうした中で、函館碧血会も六月二十五日(火)午後二時から、函館山の麓谷地頭の丘にある碧血碑で「碑前慰霊祭」が執り行われました。「碑前慰霊祭」は、箱館戦争で最後の戦いとなった千代ヶ岱陣屋の戦いの日であった旧暦五月一六日を、新暦に読み替えて六月二五日として行うこととしたものです。
碑前慰霊祭は、碧血会事務局長のあいさつと進行で始まりました。まず慰霊祭が行われるに至った経緯が紹介されました。箱館戦争が終った時、旧幕府軍犠牲者の遺体は路傍に放置されたままでした。これを函館市民らが収容し、埋葬したのでした。後からこの話を聞いた榎本、大島らの旧幕府軍の幹部らは感激し、戊辰戦争終焉の地函館に出来るだけ立派な、大きな石碑を建てようと考えたのだといいます。
碑前祭は、函館市から花束が供えられ、谷地頭認定こども園の方々から千羽鶴が奉納されて始まりました。御供養は船見町の一乗山実行寺から、望月ご住職他四名の僧侶の方々にお願いしました。ご僧侶の方々の読経が始まり、参列者全員が焼香を行いました。碑前祭への参列者は、主催者である函館碧血会の関係者のほかにも、函館市及び友好団体の方々や一般市民なども参加されました。
ご焼香の後、花びらを散らしながら碧血碑の周りをまわりながら慰霊する散華の儀を行いました。本年の慰霊祭には、榎本隆一郎さんや土方愛さんなどご子孫の方々も参加されました。榎本さんは、「私はこの場に何度も参加しているが、来るたびに背筋が伸びて緊張している。」と述べていました。
慰霊祭が終った後、谷地頭町会館で「函館碧血会」の総会を行い、その後に市立函館博物館を同館長の案内で「箱館戦争終了150」企画展を視察しました。
(「函館碧血会だより第20号」2020.01.01発行より)
(写真はクリックすると拡大します)】
碧血碑での「碑前慰霊祭」が終了し、総会を行った後、少し時間に余裕がありました。市立函館博物館の阿部館長から、いま博物館で「箱館戦争終結一五〇年」の企画展を行っているので見ませんか、とのお誘いを受けました。せっかくの計らいですから、見学させて頂くこととしました。遠く函館以外から、榎本隆一郎さんや土方愛さん、高松智美さん、合田一道さんなどが参加されておりました。
博物館では、函館の歴史に大きな影響を与えた箱館戦争をテーマに、一五〇年目の記念展示を企画していました。博物館の展示説明は、今回の企画展を担当されました保科学芸員に行なって頂きました。
保科さんは、博物館では、これまでにも観点を変えて何度も「箱館戦争」を取り上げてきました。今回は少し視点を変えて、これまでの年代を重視したいわゆる「通史展示」を外して、戦争を描いた「絵画資料」や掛け軸・書などの「文字資料」、「写真資料」あるいは実際に使用した「モノ資料」などの、資料を中心にしたテーマ別の展示にして「箱館戦争」を表現してみましたと、話していました。
(「函館碧血会だより第20号」2020.01.01発行より)
【学芸員から説明を受ける視察者】 | 【展示物を見入る視察者】 |
【展示物を見入る視察者】 | 【展示物を見入る視察者】 |
【市立函館博物館前で記念撮影】 | |
毎年、六月二十五日の「碧血碑・碑前祭」に合わせて「谷地頭認定こども園」の園児さんたちが箱館戦争で犠牲になった人たちを慰霊するために、千羽鶴を折って碑前に奉納してくれています。園児のみなさんは、土・日は休みで出席できませんので、今年は久しぶりに六月二十五日が平日で、出席してくれました。碑前祭を前に「こども園」を訪ねて、子供たちが一生懸命千羽鶴を折ってくれている所を取材して来ました。
取材は、碑前祭が始まる前の六月十七日(月)に、谷地頭町にある「こども園」を訪ね、太田幸子園長と子供たちからお話を聞き、千羽鶴を折っている所に立ち会わせて頂きました。園長の太田先生は、昨年度こちらに異動し、勤務になったのだそうです。組織の中でも「谷地頭認定こども園」は、地域に根差した活動を積極的に進めていることは分かっていたつもりでしたが、実際に担当し、町内でのいくつかの行事に参加してみると、その行事の多さに驚いたと話しておりました。
そうした地域活動の一つが碧血碑・碑前慰霊祭への参加と千羽鶴の奉納でしたと述べていました。千羽鶴は、こども園の年長さんが作ります。時間的に少し余裕をもって、五月半ばごろから作り始めます。少しずつ、時間をかけて長くやらないと、出来ません。
最初は折り方を知りませんから、年長さんの保育担当の先生が教えていますが、子供たちにも個性があり、すぐに上手になる子もいれば、中々上手に折れずに苦戦している子、飽きずにセッセと折る子、すぐに飽きて部屋を走り回っている子など様々です、と話していました。
子供たちが、碧血碑についてどのぐらい意識しているのか聞いてみると、太田園長は、ここにきてすぐの頃、園児たちとこんなやり取りをしたと教えてくれました。園児たちに「上手に出来たねー、でも、こんなにたくさんの鶴をどうするの?」と聞くと「あのね、お墓に持って行くの、大きなお墓…」という答えでした。そして、それが碧血碑に千羽鶴を奉納することなのだ、ということはすぐに分かりました、子供たちは子供なりに理解しているのだと思ったそうです。子供たちは、まだ表現力はそれ程豊かではありませんが、本質は理解しているように思いました。改めて地域との交流の大事さや、歴史を学ぶことの大切さを感じました、といっていました。
子供たちには、今年もまた「遠い昔に箱館戦争があってね、沢山の人が亡くなりました。これからはそんなことしないという誓いを立てて、今、みんな幸せに暮らしているんだよ。ありがとうの気持ちと、安らかに眠ってくださいという思いを込めて、千羽鶴を供えましょう。今年もまた、碧血碑にお参りに行きましょう、と話してあげました。」と語ってくれました。
ホールで実際に年長さんたちが折っているところを見せて頂くと、思っていたよりも手早く、上手に折っていました。そして、上手く折れない子に、手を貸す子、教える子、何枚折ったと自慢する子、色々でした。
私たち、外部の人が来て、写真を撮ったり、言葉を掛けるものですから、少し興奮気味になり、走り回ったり、ふざけてみたり普段とは少し違う態度だったようです。それでも、最後に今日作った鶴をテーブルの上に並べて記念写真に応じてくれました。
谷地頭認定こども園のみなさん、太田園長先生、ご担当教諭のみなさん、有難うございました。これからも宜しくお願いします。
(「函館碧血会だより第20号」2020.01.01発行より)
谷地頭認定こども園 | 鶴を折る子どもたち |
上手に鶴が折れました | 今日はこれだけ折れました |
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(函館碧血会・事務局)